魂伝えるということat 2002 03/15 13:35 伝えるってむずかしい。 相手に何を伝えたいのか、どうして伝えたいのか、なんのために伝えるのか。 人に言葉を発する時、そこまでも考えて発していない。 この言葉を発した時に、相手がどう感じるのか、どう受け止めるのか・・・。 この言葉が誤解を生むことがあるだろうか。 この言葉が相手を傷つけたりしないだろうか。 人づての言葉を聞いたとき、驚いた。 ひとつの言葉が違った色合いをもっていた。 私はそんな風には聞いていなかったけど・・・ 私はそんなつもりで言ったわけではなかったけれど・・・ そんなことって日常茶飯事だよね。 だから、思いを込めて、言葉を伝えたい・・・。 自分の中の中心 at 2002 05/02 09:36 中心といってもね、芯があるわけじゃない。 私の中には「空」があるだけなのかもしれない。 自分を振り返って、 ただ、想いのベクトルがどこを向いていて、 どういう状態なのかを見るってことが大事なのだと思うの。 トラブルが生じたとき、 そのトラブルに覆われてしまって、 混乱した状態に陥る・・・ それから、相手に感応してしまってね、 客観的な目を見失ってしまっていることもあったりするの。 少し、その自分に距離を置いて、 今自分にとって何が必要なのかって見極めることが とても大切なのだと思うの。 瞑想をする、ってたぶん、そういうことなんだろうな。 形式ではなくて、自分の想いに少し、距離をおいて見てみる、 と言うことなのだと思うの。 答え at 2002 06/23 16:11 本当は、 答えは出ているの。 そして、 勇気のない私のために、 状況が用意されてもいる。 常に移ろうのは、私の心。 防御の人生を生きるのか・・・ それとも、大いなる流れに乗るのか。 天の言葉 at 2002 06/27 16:04 私は、人の言葉も好きですけど、 天の言葉がもっと好きです。 言葉・・・光透波・・・ 天に情けがないか、と言えば、 天に想いがありますわ。 その想いが人を創りだしているのですもの。 その想いを忘れているから、 人の情さえも忘れる心を作り出しているのかも しれないですね。 インスピレーションを通して、想いが降りてくる。 沈黙 at 2002 06/27 18:06 光は、透明な波。 感情をもたない、エネルギー。 けれども、想いはその波にのって届きます。 エネルギーは沈黙。 そして、その沈黙の背後に想いが隠れている。 そこに、感情はないの? 感情は必要ないのでしょう。 沈黙する存在は、ただ見ている・・・。 人の行為に干渉することはない。 人は自分の想念により現実を作り出すから。 私が変わると世界が変わる at 2002 06/29 13:43 私に与えられた、現実は そこで学ぶことがある試練の場。 そして、 その試練を越えたら、 現実は厳しいものでなくなる。 メッセージ at 2002 06/30 15:47 私のメッセージは、私自身です。 私の言葉にこめた、私自身の生き方。 知識でもなく、 人の言葉でもなく、 ただ私の心に感じた、 私へのメッセージ。 私らしくあること at 2002 05/29 02:38 どうして、私が変わることができたのでしょう。 いつ、私は変わったのかしら・・・? いつ、とは覚えていないのです。 少しずつ、少しずつ人は日々変化しているのではないでしょうか。 高校の時に、太宰治の『人間失格』を読んだの。 とてもショックだったの。 そこに描かれてしたのは、 自分に自信がない私、そのもののように思われたの。 でも、たぶん、その自信のない私がこのまま高じていけば、 太宰治のように死にゆくしかないかなあ、とまで思われたな。 それが逆に歯止めになったっていうのもある。 こんなふうに自分を追いつめても 決してよくはならないって気付いたのがよかったのかも。 それから、人に聞いたの。 『人間失格』の本についてどう思うか・・ ふたとおりに別れた。 この本は嫌いだと言う人と、自分とそっくりだ、と言う人。 嫌いだっていう人は、そんな自分を見たくないと思う人なんだろうな。 けれども、自分とそっくりだと思う人の方が多かった・・・。 そういう人の声を聞くことで、 ああ、自分だけが自信がなかったわけではなかったんだって 知ったのがよかったの。 人はみんな弱いんだって、今も思う。 強く見える人も実は強がっているだけ。 自信のあるように見える人の心のどこかにも、 弱い部分ってあるんだって、今はわかる。 そしてね、こうあるべきだって思う必要はなく、 ただ、私は私らしくなれたらいいんだって 思えるようになったことが、今の私の原点かもね。 インスピレーション at 2002 06/02 20:41 日記だけは、 心静かな状態にして、 自分を見つめる時間にしたい、と思っているのです。 どんなに忙しくても、 充実している時って 不思議と言葉が出てくるのです。 今はまだインスピレーションが 止まっています。 赤毛のアンの作者、モンゴメリは、 このインスピレーションの瞬間を 大切にしていました。 向こうから、言葉がやってきます。 それまで見えなかったものが、 突然に見える瞬間。 変わったのは・・・・ at 2002 06/19 18:05 変わったのは、私の方。 向こうは変わっていないのかもしれない。 でも、変わらなかったことの方がよかったかといえば、 そんなことはないでしょう。 あの頃の私は、 自分しか見えていなかったの。 愛することは、 ただ、相手を受け入れることだったの。 どんなに、自分が傷ついていたとしても、 それを耐えるしかなかった、私がそこにいただけ・・・ でも、時として思うの。 どんなに意識が目覚めたとしても、 現実を変える力がなかったら、 その意識にとっては、 苦しみが増えるだけかもしれない、と。 新しい世界 at 2002 06/22 19:48 そう・・・ いつだってコトが起きるのは突然。 ワクワクする予感が訪れる時も、 そして実際に素敵な出会いが与えられる時も。 いつか、コトが起きて、 私を違う世界に連れだしてくれる、と 感じていたわ。 夜明けの時が一番暗い。 そして、夜明けの時が終わろうと しているのかもしれない。 でも、新しい世界に 入るのは不安・・・ 不安 at 2002 06/25 00:17 いろんな人の声、 いろんな人の考えがあるの。 つい、人の言葉に耳を傾けてしまう。 180度違う方向から語る、人たちの言葉に。 そして、自分の感じていることの裏付けを得ると、 安心して、否定されると不安になる。 不安になるのは、 自分の中心を見失うからだよね。 「死」を選択しようと考えあぐねた夜、 私は自分の中に言葉にならない、声を聞いたの。 死のうと考えているのは、頭の中だけ。 本当は生きたいと思っている自分がいて、 生きてなすべきことがある、と感じた・・・ その声の導きにより、私は今も生きている。 真実はいつか必ずあきらかになる at 2002 07/04 18:39 突然に気づきが訪れました。 真実はいつか必ずあきらかになる。 だから、何が正しいかを論争しないことに しています。 それに誰かが悪いなどとも思いません。 何故って、今までもそうでした。 誤解があって、離れていった人も、 その真実が明らかになったとき、 関係を結びなおすことができました。 現実の人間関係でもそうでした。 長女がいじめにあったときも、 お姉さんが、妹のいじめを お母さんに伝えてくれたことで、 終えることができました。 本当は、とある一人の子が扇動していただけだったのです。 私の友だちは、自分も同じトラブルにあって、 私を誤解していたことに気づいてくれました。 だから、私は沈黙を守ります。 沈黙の中に真実が隠れています。 気づいていくということ at 2002 07/15 19:57 そうね、たとえ交流がなくても、 心は通わせることができるのかもしれません。 むしろ、沈黙の中でこそ、 誤解もなく、真実のみを 見つめ続けることができるのかもしれません。 自分との対話の中で、 人は多くのことを学びます。 教えられるのではなく、 気づいていくのでしょう。 理想と現実の狭間 at 2002 07/18 23:22 泥の中にしっかりと根をはりながら、 なお美しい花を咲かせる、 はすの花。 温室育ちの繊細なマーガレットではなく、 道端にまっすぐに伸びる除虫菊といわれる、 マーガレット。 試験管の中で純粋に培養されながら育つのではなく、 過酷な自然の中で淘汰されて、 生命は育つようになっている。 それが自然体で生きるっていうことなのだろうか。 理想と現実の狭間のなかを 今も私はさまよっている。 魂の声 at 2002 07/21 17:39 聞かないでいた方が 現実に順応できたかもしれない。 と、思ってしまう、悲しい自分も 出てくることがある。 真実は、往々にして厳しい。 価値観の違い at 2002 07/29 17:06 魂は、生まれる前から、 人生のプログラムの選択をしてきているという。 どんな親元に生まれ、どんな環境を選択するか。 また、どんな人と結婚し、どんな人生を生きるか。 それは、その魂の成長にとって 必要なプログラムなはず。 けれども、 自我は自分が楽な人生を選択しようとする。 価値観の違う、夫婦はなんのために一緒にいるのか。 それは、価値観が違うところで何かを学ぶため。 決して、どちらかがどちらかのために犠牲になる 人生を生きるためではなく、 また、ただ我が儘を通すだけの人生を送るための 結婚生活でもないでしょう。 違いがあるところから、何かを学ぶために、 その体験は用意されていたはず。 その学びは、忍耐するためにあるのではない。 でも、夫婦であることは、相手を容認し、 許すことに留まっているとすれば、 何度繰り返しても、同じ人生を歩むでしょう。 もっとも、結婚生活に失敗したと言って、 別れることを繰り返すことも同様なのでしょうけど。 価値観の違い その2 at 2002 07/29 18:04 ある方が価値観の合わない人をわざわざ選んだのも 何かの理由があるんじゃないかな、とメールに書いてきた。 その価値観の違いがずっとひっかかっている。 まだ、いい足りない気がして、再度日記に向かってみた。 たぶん、こういうことが私は言いたいのだと思う。 必要があって、価値観の違う二人が出会って結婚する。 それを世間は、我慢して寄添うことを評価する。 そういう選択を選んできた、魂もあるかもしれない。 けれども、中には何度か離婚して、再婚する人もいる。 それから、同じ夫婦で復縁する人もいる。 人々は、それに対してさまざまな評価をしようとする。 けれども、魂の選択はそういう評価とは関わりのないところにある。 なんども再婚を繰り返す中で何かを学ぶことを 選択してきた、魂もあるかもしれない、 それから、独身で通すことを選択してきた、魂もあるかもしれない、 引きこもりを体験することを選択してきた、魂もあるだろう。 それが、良いとかいけないこと、と評価するのは、世間と言う価値観でしかない。 魂の選択の理由は全く別なところにあることを忘れてはならないのだと思う。 ありのまま at 2002 07/31 19:34 ありのままの自分を受けとめることができる人は、 ありのままの相手を受けとめることができるでしょう。 相手の中に見えるものは、自分の思考の映し鏡で 見たものなのだから・・・ でも、ありのまんまでいいってことは、 それ自体が完璧な状態であるってことではないと思うの。 昨日のありのまんまの私と、 今日のありのまんまの私・・・は変化している。 人は、未熟であることが、原点だから、 成熟に向かっていくことが大切なのですよね、きっと・・・ ジャンル別一覧
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